「爆発踏切」
何だかすごい名前ですが、彦山駅から日田方向に500mほどの所に実際にあるそうです。
通称かとおもいきや、”正式名称”だそうです。
因みに、私は行ったことがありません。
先日、英彦山登山のブログを仕上げるために、いろいろとwebで調べ物をしていた時にたまたま発見しました。
この名前は踏切のすぐ北側で起きた「二又トンネル爆発事故」に由来しているようです。
大戦末期、旧帝国陸軍が大量の火薬を空襲等から守るために、当時、鉄道未開通区間で未使用だった二又トンネルと隣の吉木トンネルに保管したことがそもそもの始まり。
この火薬は、終戦後、占領軍の指揮の下、その場で焼却処分されることになったそうです。
最初に吉木トンネルの火薬に着火。
トンネル内は酸欠状態のため、爆発的に燃えることはないのだとかなんとかで、こちらはうまく燃えたそうです。
それで大丈夫ということで、次に二又トンネルの火薬に着火。
最初は順調に燃えていましたが、約2時間後に大爆発。
トンネル内にあまりに詰め込まれていたので、大きな爆弾みたいになってたんでしょうか?
全長約100mのトンネル内の530tもの火薬は、トンネルはもちろんその上の山ごと吹き飛ばしてしまったそうです。
このときの爆発音は、遠く福岡や別府にまで聞こえたとか。
降り注ぐ山一個分の土砂、岩石、炎や建物倒壊などで、死者147人、負傷者149人という大惨事になりました。
詳しい内容はウィキペデリアにありますので、そちらを参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/二又トンネル爆発事故
で、不思議なことに、これだけの大事故なのに一般には、ほとんど知られていません。
当時も事故を伝えたのは、地方紙の西日本新聞社ただ一社のみだったそうです。
私も、先日自転車で横を走ったときも、川にかかる鉄道の石造りのアーチ橋を観ながら、
「のどかだなー」
と、思っただけで、そこで悲惨な事故がおこったとは考えもしませんでした。
ずっと、福岡に住んでいますが、まったく知りませんでした。
慰霊碑もあるそうなのですが、駅前など多くの方に手を合わせてもらえる場所にあればよいものを、普通の方は訪れない場所にひっそりとあるようです。
したがって、一般の登山者、参拝者などが、現地で事故のことを知ることはほぼないでしょう。
これだけ知名度が低い理由は、やはり、アメリカ軍が引き起こした事故だから、というのが想像できます。
ひらたく言うと、隠蔽されたのでしょう。
今では、地元の人でも知らない人がいるのだとか。
何だか忘れ去られるように仕向けられているような・・・・
このままでいいの?
と、いうわけで、「爆発踏切」です。
「何だかいろんな圧力かけられてるけど、せめて踏切の名前くらいは」
・・・という経緯があったかどうかは知りませんが、唯一、事故を知らせているものだというのは確かなようです。
実際、このインパクトのありすぎる名前から、事故のことを知る方も多いようですよ。
爆発踏切は遮断機がなく車も通れないような小さな踏切で、国道から少し入った場所にひっそりとあるそうですが、
この踏切だけは無くならずにずっと残っていて欲しいですね。
次回、近くを通った際には、是非立ち寄って事故のことに思いをはせてみたいと思います。
何だかすごい名前ですが、彦山駅から日田方向に500mほどの所に実際にあるそうです。
通称かとおもいきや、”正式名称”だそうです。
因みに、私は行ったことがありません。
先日、英彦山登山のブログを仕上げるために、いろいろとwebで調べ物をしていた時にたまたま発見しました。
この名前は踏切のすぐ北側で起きた「二又トンネル爆発事故」に由来しているようです。
大戦末期、旧帝国陸軍が大量の火薬を空襲等から守るために、当時、鉄道未開通区間で未使用だった二又トンネルと隣の吉木トンネルに保管したことがそもそもの始まり。
この火薬は、終戦後、占領軍の指揮の下、その場で焼却処分されることになったそうです。
最初に吉木トンネルの火薬に着火。
トンネル内は酸欠状態のため、爆発的に燃えることはないのだとかなんとかで、こちらはうまく燃えたそうです。
それで大丈夫ということで、次に二又トンネルの火薬に着火。
最初は順調に燃えていましたが、約2時間後に大爆発。
トンネル内にあまりに詰め込まれていたので、大きな爆弾みたいになってたんでしょうか?
全長約100mのトンネル内の530tもの火薬は、トンネルはもちろんその上の山ごと吹き飛ばしてしまったそうです。
このときの爆発音は、遠く福岡や別府にまで聞こえたとか。
降り注ぐ山一個分の土砂、岩石、炎や建物倒壊などで、死者147人、負傷者149人という大惨事になりました。
詳しい内容はウィキペデリアにありますので、そちらを参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/二又トンネル爆発事故
で、不思議なことに、これだけの大事故なのに一般には、ほとんど知られていません。
当時も事故を伝えたのは、地方紙の西日本新聞社ただ一社のみだったそうです。
私も、先日自転車で横を走ったときも、川にかかる鉄道の石造りのアーチ橋を観ながら、
「のどかだなー」
と、思っただけで、そこで悲惨な事故がおこったとは考えもしませんでした。
ずっと、福岡に住んでいますが、まったく知りませんでした。
慰霊碑もあるそうなのですが、駅前など多くの方に手を合わせてもらえる場所にあればよいものを、普通の方は訪れない場所にひっそりとあるようです。
したがって、一般の登山者、参拝者などが、現地で事故のことを知ることはほぼないでしょう。
これだけ知名度が低い理由は、やはり、アメリカ軍が引き起こした事故だから、というのが想像できます。
ひらたく言うと、隠蔽されたのでしょう。
今では、地元の人でも知らない人がいるのだとか。
何だか忘れ去られるように仕向けられているような・・・・
このままでいいの?
と、いうわけで、「爆発踏切」です。
「何だかいろんな圧力かけられてるけど、せめて踏切の名前くらいは」
・・・という経緯があったかどうかは知りませんが、唯一、事故を知らせているものだというのは確かなようです。
実際、このインパクトのありすぎる名前から、事故のことを知る方も多いようですよ。
爆発踏切は遮断機がなく車も通れないような小さな踏切で、国道から少し入った場所にひっそりとあるそうですが、
この踏切だけは無くならずにずっと残っていて欲しいですね。
次回、近くを通った際には、是非立ち寄って事故のことに思いをはせてみたいと思います。
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